高浜町 西三松 同和 高浜町立三松センター 高浜町助役に関連した画像-01
12019/10/02(水) 20:50:32.66ID:WjjqkqFm9.net

高浜町と言えば福井県嶺南地方、通称、“原発銀座 ”に位置する自治体だ。と同時に福井県下で最も同和事業が盛んで、森山の自宅がある西三松にしみまつの隣保館「高浜町立三松センター」にはかつて部落解放同盟福井県連合会があった。関西地方に行けば市役所、町役場、公民館に人権標語が掲げられることは珍しくない。ただ北陸地方は同和のイメージが薄い。しかし高浜町は北陸にあってしっかり“同和推し ”をしている。こんな町だ。

高浜町住民生活課の窓口に設置してある。この町のどこに部落差別があるのか不思議だった。

議会には同和問題対策委員会もあった。
それにしても今回の問題に違和感を覚えた人も多かったのでは? 再稼働や拡張工事など地元の理解を得るため電力会社側が有力者に金品を提供するというシナリオならばありえる話だ。しかし地元側から電力会社に金品提供とは前代未聞。なぜこんな事態が起こりえたのか? それは“ 同和のドン ” 森山が解放運動を背景に高浜市、そして関西電力を屈服させてきたからだ。あるいは森山が同和絡みというのは言及されなくても、こんな報道から見て取れる。

10月1日、MBS(毎日放送)によれば関電は森山に原子力担当の幹部職員を対象にした人権教育研修の講師に招いていたと報じた。こうした場合の「人権」とは一般的な「人権」の概念とはかなり異なる。行政・企業にとって「人権」とは「同和」を示す一種の隠語といった存在だ。この点は過去にも指摘してきたが、一応補足しておこう。そして森山の足取りである。

今回は「森山栄治」を含めて、彼を取り巻いた人物は故人が多い。笹沢左保の推理小説『死人狩り』ではないが、物故者の爪痕を探るのも骨が折れる。何しろ森山は享年90歳だからその関係者も当然、高齢者で助役現職時代を知る人は少ない。森山の経歴を見るといくつか興味深いことがある。時系列で紹介する。

1969年12月11日に高浜町に入庁。
1971年に総括課長兼建設課長。
1975年10月11日から1977年3月31日まで収入役。
1977年4月1日から1987年5月31日まで助役。

入庁からわずか二年で課長になった上、「統括課長は森山のために作られた肩書き」(町関係者)。

(中略)

同和と在日案件 吉田開発社長は元韓国人

おそらく森山もこのタイプに近いのではないか。ある時は解放同盟の存在をちらつかせながら原発行政を牛耳ったと考えれば納得できる。それから森山と解放同盟の関係でもう一つ証言を得たのは「吉田開発」(高浜町関屋)との関係だ。同社はご存知の通り、関電から20億円超の受注をしていた会社だ。同社・吉田彪社長は高浜町の住民ではなく、舞鶴市在住。そして現在は帰化しているが元韓国人だ。こういう証言を紹介しておこう。

「吉田さんは舞鶴の解放同盟員に森山を紹介してもらい、1984年頃に高浜に来た。そこから短期間のうちに吉田開発とゴルフ練習場で大儲けした。それも森山の後ろ盾があってのことだ」

吉田開発の前には吉田社長にインタビューをしようと報道陣が連日、押し寄せている。近隣住民は言う。

「韓国人やったのはこの辺りの人は知っているよ。でも人柄も悪くないし吉田ださんに悪い印象はないなあ。。森山さんは嫌いだけどね。ここ数年はそうでもないんやけど、大雪が積もることがあったから、吉田さんの会社が重機を出して除雪してくれた。様子? うん、感じよかったよ」

そんな吉田社長は会社にも不在、そして舞鶴市の自宅にも不在で、近隣住民によれば「車がないから遠出しているんじゃないか」ということだ。報道陣から雲隠れしているのだろう。

※下記リンクより、一部抜粋。続きはソースで
https://jigensha.info/2019/10/02/kanden/

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Source: アルファルファモザイク